アリ族の冒険

海外での経験や思ったことをまとめることが多いです。

中国人の「雑さ」と物事の本質

中国から日本に帰国して、3か月が経とうとしています。

その間に、トビタテの事後研修など、何度か留学を振り返る機会がありました。今回は、そういう場で話した、北京留学を通して中国人に対する考え方が変わったことを文字に起こしてみます。

 

一言で結論を言うと、中国人が「雑」というイメージに「本質を見抜ける」人々というイメージが加わったという話です。

 

皆さんは中国人に対してどんなイメージをお持ちでしょうか。僕の留学前のイメージは、「雑」の他に、「大雑把」「主張が激しい」「家族の絆がめちゃめちゃ深い」などでした。特に前半部分は多くの人が共感してくれるかなと思います。

 

実際、留学を始めてから中国人の雑さを感じることは何度もありました。

 

まず驚いたのはクラスでのプレゼンテーション。彼らの論文紹介のPPTスライドを見たとき、衝撃を受けました。(どうでも良いですが、私の中国の友人たちはパワポのことをPPTと呼びます。)なんと、タイトルの次のスライドが論文概要のまるコピだったのです。重要部分の色での強調すらなし。当然、大学や学科によって違うと思いますが、僕のところはそうでした。正直、見下しました。「自分ならもっと見やすいスライドが作れる」と。

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もう1つ、中国人の雑さに驚いた経験があります。Amazonのようなオンラインショップ(淘宝や京东、天猫など)で購入した品物を受け取ったときのことです。ダンボールに梱包されていたのですが、なんとダンボールは砂にまみれ、ご覧の通り穴まで空いていました。苛立ちを通り越して、笑いが出ました。

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他にも、食堂の支払いやはかる量、大学事務での手続きなど、中国人の雑さを感じる機会は数え切れないほどありました。

これらの経験でよりもともとのイメージが固まって、「これだから中国人は...」という諦めのような感情が起きていました。

 

 

しかし、現地で数ヶ月生活するうち、あることに気づきました。

清華大学の学生が1週間にこなすレポートや発表の量を目の当たりにした頃からです。

 

それは、彼らは物事の本質、つまり一番肝心な部分を無意識に理解していて、そこに注意を傾けることができているのではないかという考えです。その結果として、不要な部分を切り捨てる判断ができる。

 

彼らの課題量を聞いたとき、自分の能力ではこなせないと思ったし、彼らは1つのスライドを自分の半分以下の時間で作ること、そして、残った時間は他の課題や勉強に費やしていることを知りました。まず、この時点で彼らに対する愚かな優越感のようなものは消え去りました。

考えてみれば、発表の目的はキレイなスライドを見せつけることではない。もし発表の目的が「自分が伝えたい内容を正確に相手に理解してもらうこと」なら、スライドがみにくくても、プレゼン能力を磨いたり、説明に時間をかけたりすることで補完できるはずです。(実際、彼らはプレゼンの前に練習を欠かしません。)

それで十分に伝わるのであれば、必要以上に色やアニメーションにまでこだわりすぎることは、無駄に近いかもしれません。

 

ズタズタダンボール事件に関しても考え直してみました。

ダンボールが破れていることは一度きりだったが、砂まみれで届くのは日常茶飯事だったから、彼らはそれでも気にしていないのでは、と思ったのです。

注文した商品の宅配に期待するのは、速く正確に届けてくれることで、極論それが使える限り梱包材はいくらズタボロでも良いのかもしれない。それくらいの配送レベルでも受け入れられるからこそ、サプライチェーンが独身の日の大量消費にも耐えられるのかなと思います。

 

当然、特にダンボールに関して日本に応用できるとは思いません。一般に日本人は箱をもらって、それを開けて商品を手にするまでの一連の経験を大切にする気がします。

 

ただ、僕はこの最初の数ヶ月で新たな気づきを得て、これがその後の友人関係にも大きく貢献した気がするのです。

 

さて、次回かそのうち、中国人のイメージが変わったことで、自分を含めた日本人に対する考え方がどう変わったかを書いてみようと思います。

 

今回はこの辺で。最後まで読んでくれてありがとうございました!